拝啓、俺。

前略、俺に二度目の人生があるならこう生きてくれ。

夏休みに向けて自己啓発~その弐~

これからいよいよ時間と暇だけが有り余る夏休みだ。

 

大体この時期になると「何かしたい‼」

と、誰もが思うわけであってこれからのことを考えるだけでウキウキしているのは筆者だけではないだろう。

 

似たようなことを思うのは新年にも当てはまる。

 

「今年こそ〇〇するぞ」

と書き初めたことが何回あるだろうか。

 

前回の”自己啓発~その壱~”でも書いたが、決めたことの大半は成し遂げられずに終わる。

 

結局、「変わってしまう」ことに怯えているのだ。怯んでいる。

 

おっと、「おびえる」と「ひるむ」は同じ字を書くのだな。

 

 

ところで、巷には情報商材が溢れ、

 

「自己投資」こそ一番価値があるよ

 

というような言葉が散見される。

 

 

 

確かにボク自身、「自己投資」には価値があると思っている。

 

 

だってそうだろう?

 

 

ちょっと贅沢なものを食べた、旅行に行った、普段は買わないようなものを買った

 

 

 

これら全てが「自己投資」という言葉で正当化されてしまうのだ。

 

 

 

逆手に取れば、

 

 

 

詐欺まがいの情報商材

「自己投資」と思えばいいんですよ。

 

 

 

と誘惑することが可能だ。

 

 

無論、こういった情報が詐欺だと言うつもりはないが

 

 

 

10万も20万も払うことが自己投資ではない。

 

 

と僕は思う。

 

 

あなたは自己投資するために生きているのではないだろう?

 

 

あなたには普段の生活があり、

 

バイトやなんやでお金を稼ぎ

 

飯を食って寝る。

 

 

その中で少し余剰がでたら自己投資をすれば良い。

 

 

生活を劇的に変えるような特効薬にお金を払うことは

 

 

 

それは「自己投資」ではない。

 

 

 

ただこれは、「するな」と言っているのではなく

『「自己投資」という言葉で片づけるな』

という意味だ。

 

 

先より申し上げている通り、「自己投資」という言葉は

 

 

甘い部分を正当化しうる言葉だと思っている。

 

 

お金を掛けること以外にも自己実現する方法はいくらでもある。

 

 

例えば、普段しないことをする。

 

 

行きつけの喫茶店の店員さんに

思いっきり笑顔で挨拶してみるとか。

 

 

店員さんはもちろん営業スマイルで笑顔を返してくれるだろう。

 

 

きっとそれだけでもあなたは満たされる。

 

 

普段ならしないこと、できないことが出来たときに人というのは満たされるものだと思う。

 

 

「自己投資」とはちょっと違うので自己実現と書いたが

 

 

 

夏休みにボクがしたいのは自己実現だ。

 

 

「自己投資」という言い訳のような言葉ではなく、自主性をもって考え、行動する自己実現という名こそふさわしい。

 

 

 

幸い、筆者にはこれから50日間の時間がある。

 

 

何をしようか、考えるだに恐ろしい。

 

 

何でもできるような気がするのだ。

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……具体的な展望が無いのが、玉にキズだな