無駄なコトを「無駄なコト」で終わらせないために。
無駄なコトをしている時間って幸せだと思う。無駄なコトは自分が好きなことでもあるコトが多い。
時間の浪費ほど大きな害はない。|ミケランジェロ
賢い人間は時間を無駄にすることに最も腹が立つ。|ダンテ
偉人はみんながみんな「時間を無駄にするな」というようなことを言う。
固い話をすればおれも人生は有限と思い始めたころから「無駄なコトは無駄だ!」と思ってやらなくなった。
ゲームも辞めたし、バイトも辞めた。
(※金がなくなったのでバイトはまた再開したのでその意味では無駄ではなかったらしい)
有意義なこと=人の為になること=お金が稼げること
だと思っていた。
最近はメディアを作ろう!人の役に立つサービスを作ろう!と躍起になっているがメディアは売却までいけばお金になる。100万200万どころか1000万1億と言う規模感で。
これはお金が稼ぎたいわけではなく
自分がなにか新しい価値を生み出したい、という感情からだが(その結果、大金が舞い込んできたならハッピーだ)。
そんな感じで将来につながること「だけ」しようという風にストイックになっていった。
結論から言えば、良くない。
半年以上あれこれ考えてきたがどんどん視界が狭くなっているのを感じる。
肌感でしかないが「目標に一直線」というより「目標がどんどん小さく絞られていく」イメージ。自分の将来にはこれしかない、みたいな危機感を感じる。
「セレンディピティ」という言葉があるのはご存知だろうか。
セレンディピティは『セレンディップの3人の王子』という童話から着想を得た英国の小説家が創りだした言葉だ。
その王子たちは旅をし、その途上において想定外の出来事が起きるが、その都度彼らはもともと探していなかった「何か」を発見する。
つまりセレンディピティとは、「何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能」のことである。
セレンディピティは「偶然の産物」と思っていたがちょっと違うらしい。
何か探しているときに、別の価値あるものが見つかる偶然は、ある意味では必然的なものかもしれないなぁ、と思う。
そんでもってこういう偶然がコロッと人生を変えてくれるんだな、とか思うからこそそういう経験をするべきで、そういう経験は自分が想定していることばかりしていても、構造上どうしてもみつけることが出来ないのだろう。
無駄なコトをしている時間って幸せだと思う。無駄なコトは自分が好きなことでもあるコトが多いから無駄なコトはやめる必要はないと思う。
Have a good day!